北見のハッカ(寄稿)
拝啓 | 2004年4月吉日 株式会社 北見ハッカ通商 代表取締役社長 永田武彦 |
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白寒の大地 いまだに朝夕はマイナス10゜C以下で街中の雪は、今尚1メートル以上あります。東京はすでに桜花を見ようとしている時節柄、初春程遠い北国です。 | |||
この度、地場産品を代表するハッカのことについてご依頼を承り 大変嬉しく思っております。その事が少しでも地場産業の経済啓蒙に関ることが出来るのであれば、東京北見会に対しても、北見全体の産業振興についてもご奉仕が出来れば私も嬉しい限りでございます。 本寄稿に当り 各関係期間乃至専門的資料も参孝に致しました。特に北見のハッカの歴史については「北見郷土博物館」資料に基づいて書く事に致しました。 また、専門的な事については元北見工業大学教授 伊藤昌明先生(故人)の資料を参照させていただきました。 敬具 |
1 ハッカ(薄荷)の名前
薄荷という文字、中国から伝来したと言われております。
その意義は1反の薄荷草を日陰に50日〜60日程乾燥させると四分の一〜五分の一程度になります。それを水蒸気蒸留によって摂取して取り出します。大昔は技師もいなかったことから、1反から2〜3kgの量しかとれなかったようです。1反の草量はおおよそ歩道車1台分の量です。そこから僅かに約2〜3kg程度しか摂れなかったことから、荷の割に量が少ないと言うことで「薄荷」という文字が生まれたといわれています。また別名「めぐさ」とも言われ、その草液が目に入ると痛いところから呼ばれるようになったそうです。
2 ハッカの歴史的背景
ハッカの栽培は 約3000年前に遡ると言われ 地中海沿岸で栽培されていたと云われる。現在世界各地で栽培されているハッカは 洋種ハッカ(Peppermints) 和種ハッカ(Japanese mint) スペアミント(Spearmints)の3種類に大別される。
18世紀末葉における世界のハッカ消費量は2,000乃至3,000ポンド程で、主として上記のハッカは英国のMitchamで生産されていたのであるが、その後この品種のハッカはアメリカ大陸・ヨーロッパ・中東諸国・ソ連など世界的に広がり栽培されるに至り、今日に及んでいる。
現在まで我国で最も多量に栽培されてきたのは和種系のハッカで、学名はMentha arvensis
varpiperascens Holm であり、同系のものが中国・ブラジル・インド等アジア諸国にも栽培・生産されている。
洋種ハッカ・和種ハッカとは区別された スペアミントは脱脳したハッカ油成分が異なり、栽培量も少ない。
わが国には紀元600年頃中国から渡来したと云われているが、次第にその栽培が広がり、明治2年(1869年)頃山形県がその主産地となり、その製品が1870年にはすでに海外市場に進出するに至る。明治12年(1879年)頃英国の商人コッキングが横浜に脱脳工場を建てた。その後明治20年前後になって、三備・北海道地方にその栽培が広まり、明治33年(1900年)頃には三備地方が主産地となったが、大正時代に入る(1912年)に及んで、その栽培中心は北海道に移行して行ったのである。
北海道における栽培の始まりは日高・門別であって、明治17年のことであった。
翌年八雲の徳川農場でも栽培が始められた。明治24年頃永山(現旭川市)が主産地となり、北見地方への路程は永山を経ることとなる。その当時の栽培は札幌・道南・空知にも広がっていた。永山における農産の繁栄はハッカ栽培を奥地へ奥地へと移す傾向にあり、北見峠を経て北見地方にその栽培が移ったのは明治33年の頃であった。
年代は前後するが北見市歴史資料によると、北見薄荷の歩みは「渡辺精司」なる人が明治24年福島県から移住の目的で紋別郡のモベツ村に到着した。その時湖辺に野生の薄荷を発見したのである。この野生の薄荷を刈り取り郷土の会津若松に送り、含油量の試験を依頼するのである。その結果は乾燥葉1貫目(3.75kg)につき3匁6分(約1.5kg)の製油を得たとのことである。野生の薄荷草にこれほどの油量を含んでいるのであるから、もし良種を得て栽培するならば 必ず成功すると信じ八方奔走するのであった。
しかし当時茫漠とした未開の北見国一帯は移住者も少なく、農家らしいものはごく稀に見受けられる程度であった。ゆえに薄荷種根の入手は非常に容易ではなかった。各方面を探し回った結果、北海道道庁や札幌農学校(現北海道大学)助教授鈴木武良及び同校生徒槇某らから、石狩の国上川地方にこの栽培地のあることを聞くことが出来た。欣喜して永山村に至り当時の戸長植松某の斡旋によりようやく山形県出身の某から薄荷根1貫目金20銭の割合で六貫目を買い求めたのである。これを苦心して悪路の中央道路を駅送(駄馬による)、湧別村西1線7番に持ち帰り約1畝歩に植付けたが、これが明治29年5月下旬である。この年の秋乾燥莖葉10貫目余を得てこれを簡単な蒸留器で製油したところ93匁(約3kg少々)の収穫があり、薄荷栽培の有望性が確信されるに至る.当時この製品の販売は東京大木口哲から1斤2円75銭、山形県北村山郡の某から1斤について2円40銭ないし2円75銭で買受けるとの回答を得るのであった。
こうして薄荷は年と共に盛んになり、北見でも明治35年、湧別村から薄荷苗を移入してこれを植え付けた。翌明治36年には1反歩につき4組以上の収穫があり、取卸油1組の価格が10円という高値を示した。何しろ交通運輸の不便な当時のことであり、雑穀作物のように費用を多く要しないことが大きな魅力となり、農家の殆どが自家食料作物を耕作したほかは薄荷栽培に熱中した。明治44年には生産額が40万円を超え、当時としては莫大なものであった。
その後薄荷油の下落が続くなか、生産面積が拡大 収穫量は増加するなど農家の採算性が立たず、薄荷農家から畑作への転作を余儀なくされた。このように一時薄荷農家が減少した沈滞期もあった。その後昭和に入って薄荷は再び高値を見せ始め、栽培が盛んになり昭和8年には世界一と云われた工場が建設されるのである。ホクレンの北見薄荷工場の建設であった。また同年より昭和14年頃までは世界の80%を超える生産量を誇り、北見の薄荷は世界の薄荷と称されるようになった。
昭和15年太平洋戦争により一時中断していた薄荷耕作は、戦後外貨獲得の輸出品として北海道庁の奨励もあって、次第に耕作者がふえ、価格の上昇と相まってどうにか北見薄荷の面目を保っていた。昭和29年には1組1万円で取引されていた。(戦前の100円 当時の1万円というと500坪の北見駅裏国鉄用地払い下げ地の価格が2万円であったことからも、当時のその金額の高さが推測される。現在この地はハッカ飴・バター飴などの飴の専門メーカーとして名を成す永田製飴工場があります。) たった1組の薄荷油が莫大な金額であったことになる。その後昭和20年代後半から30年代にかけて収穫率を上げるための改良が進み優秀な品種が現れていく。涼風・万葉等など出現、北見北斗5号・10号・20号が随時改良され、昭和48年最後の改良種わせなみに至る。
3 ハッカの用途(商品紹介)
現在ハッカ油及びハッカ脳は菓子及び薬事的に非常に多く使用されています。
特にハッカ油そのものが伸びた理由として、ハッカ油そのものを製品化したことが大きな理由と考えられます。
当社で開発した化学的変化に対応できる容器により、リフィールをはじめとしスプレーなどが市場で急激な伸びを示し、今尚続いています。近年はアウトドア隆盛でゴルフ・釣りなどの時、ヘルシーな虫よけとしてレジャーの必須アイテムとして注目されております。また ハッカ脳を使用した当社のハッカ飴などは全国でも一番人気のある代表菓子の一つとなっています。全国有名デパートで販売致しておりますので、是非ご賞味頂ければ幸いと思います。
特にメントールは鎮痛・鎮痒・防腐・殺菌性・矯臭などの効果があるため、薬用として欠かせないものとなっています。
また着香料として歯磨き・ヘアートニック・石鹸・クリームなど非常に多岐にわたって使用されております。
特に私が注目しているのは、タバコにメントールを使用したものが世界各地で急激に増え出してきていることであります。記憶によれば現在150銘柄以上が販売されています。
日本でもマイルドメントールなど3〜4種類の製品が新たに販売されています。
私見ではありますが「肺がん」などの疾病と関係あるのではないかと考えます。ニコチン酸・タール等はメントールの粒子がそれらより小さいことから、マスキング作用の働きでメントールにマスキングされて痰として放出されるのではないだろうかと考えます。
いまだ肺がんとメントールの関係については学術的に証明されていない中で、今後この二つに何らかの関係が認められていくことを期待したい。
4 薄荷の特徴
ハッカは大別すると、その目的に合わせて三つに分けられる。
第1 食品添加物
第2 着香料
第3 薬事的利用
今後また 北見を代表する薄荷が再注目され、世界に一角をなすことが出来るよう期待するものです。
現在市場で販売されている大半のハッカ油は当社で開発した製品であるが、道内・道外乃至諸外国で販売しているハッカ油の中には、当社のものとは香りが異なるものもあるため、只ハッカといわれても好みに違いが生じてきます。
当社以外のハッカ油はインド産など比較的安価なものを使用、普通の小ビンで販売されています。一部は観光地で販売しているものもありますが、品質については解析及び分析表がないため判断できません。しかし「香り」の違いだけは判別できます。ハッカの商品特性からすると、その形態を真似ることは出来ても、本質的な「香り」を真似ることは出来ません。必然的に良い香りのものに人気が出るようです。
精油成分
M.arvensis (和種ハッカ)
M.piperita (ペパーミント) 大別
M.spicata (スペアミント)
北見工業大学 伊藤教授の実験資料によると
精油収率は 葉から 3.5%
生草から 0.25%
乾草から 0.65%〜1.21%
水蒸気蒸留によって得る精油を取卸ハッカ油と呼び、普通これを冷却して結晶を析出させ、遠心分離してメントールと脱脳ハッカ油とに分ける。
現在ミントの種類は全世界でわかっているだけで140種類に上ると言われる。
以上